光学機器の発達と収差論の歴史
15世紀から19世紀にかけて発達する収差論の歴史は、光学機器の発達と密接に関係がある。
初期の望遠鏡や顕微鏡が発明された時、視野は狭く、解像度が低かった。徐々に視野を広げ、解像度が高くなる(倍率が高くなる)にしたがって、収差が発見されていき、その数学的・物理的意味づけが行われ、やがて体系化されていく。
もちろん、教科書に書いてあるように最初からまとまった答えがあったわけではなく、400年もの時間をかけて知識が集積し、体系化されていった。そのあらゆる段階で、先行する研究が、多くの人が思っている以上に深く存在していた。
そんな過程を、なるべく生き生きとまとめられたら素晴らしいと思う。
このブログでは、一連の記事をゆっくり書こうと思う。
続きを読む光学技術の起源・古代の鏡
最初の光学技術が何なのか、よく分からない。
けれども、おそらく反射の積極的利用が最初の光学技術なのではないかと思う。もっとも、屈折系の歴史も深く遡れるので、まずは反射系の歴史がどのくらい遡れる性質のものなのかをまとめておく。
おそらくもっとも参考になりそうなのは、Wikipediaの鏡のページ
水鏡
おそらく、人類は金属鏡の誕生以前から水溜まりなどを利用した水鏡あるいはより積極的に水盆といったものだったはずだ。
自らの姿を映せることを知っていたに違いない。
石鏡
古くは、チャタル・ヒュユク遺跡から、黒曜石を磨いた石板の鏡が出土している。およそ8000年前のものとされる。これが人口の鏡面としては最古のものとなる。
GoogleでObsidian mirrorsを検索すると、黒曜石の鏡がどのようなものなのか知ることができる。
同様の黒曜石鏡は、マヤ・アステカなどのメソアメリカ文化でも紀元前6世紀ごろには作られている。
金属鏡の登場
金属が扱えるようになると、人類は金属を磨き、鏡を作るようになる。
聖書に出てくる鏡
出エジプト記38:8(B.C.1200年ごろ)には、バザリールがノアの箱舟と仮の住まいを準備するぁたわら、どのようにして"夫人の姿見"を青銅の洗盤にい直していたかが書かれている。
古代の鏡は、研磨した銅、制動、少し後では錫をたくさん含んだ銅合金である鏡金でできていた。
Eugene Hecht Optics, 4th edition
また洗盤と、その台を青銅で造った。すなわち会見の幕屋の入口で務をなす女たちの鏡をもって造った。
出エジプト記38:8