光学機器の発達と収差論の歴史
15世紀から19世紀にかけて発達する収差論の歴史は、光学機器の発達と密接に関係がある。
初期の望遠鏡や顕微鏡が発明された時、視野は狭く、解像度が低かった。徐々に視野を広げ、解像度が高くなる(倍率が高くなる)にしたがって、収差が発見されていき、その数学的・物理的意味づけが行われ、やがて体系化されていく。
もちろん、教科書に書いてあるように最初からまとまった答えがあったわけではなく、400年もの時間をかけて知識が集積し、体系化されていった。そのあらゆる段階で、先行する研究が、多くの人が思っている以上に深く存在していた。
そんな過程を、なるべく生き生きとまとめられたら素晴らしいと思う。
このブログでは、一連の記事をゆっくり書こうと思う。
前史
- 光学技術の起源・古代の鏡
- 人類最初期のレンズ
光線の理解
光学機器の発達と収差論の展開
- スネルの仕事
- 三人の望遠鏡発明者
- 顕微鏡の発明
- ガリレオとケプラー
- デカルトの仕事
- ニュートンと反射望遠鏡
- 色消しレンズの発明
- 屈折系におけるアプラナート光学系の発見と顕微鏡対物レンズの発達
- カメラの発明とカメラレンズの発達
- アミチの反射顕微鏡
- J.J.リスターの仕事
- フラウンホーファーはなぜ太陽輝線で有名になったのか
- フレネルの仕事
- ペッツバールの仕事
- ザイデルの仕事
- 銀鏡反応の発見と反射望遠鏡の大型化
- 熱力学の発達とアッベの正弦条件
- 反射におけるアプラナート光学系と写真乾板
- シュバルツシルトの仕事
- リッチークレチエン
- シュミットの仕事